百年史



昭和元年(1926)
昭和十年(1935)


昭和元年(1926)

 

 

昭和二年(1927)

七月

芥川龍之介自殺。

八月

「写生の話」虚子。

十月

「秋桜子と素十」虚子。

十二月

「近代俳句思考」連載、秋桜子。

昭和三年(1928)

一月

秋桜子「筑波山縁起」発表、連作の始り。

三月

『虚子選雑詠選集』第一集刊(実業之日本社)。

四月

大阪毎日新聞社講演で虚子「花鳥諷詠」を提唱。

六月

『虚子選雑詠選集第二集』刊(実業之日本社)。

七月

東大俳句会機関誌「破魔矢」を「馬酔木」と改題。長谷川零余子没。

九月

山口青邨、ホトトギス講演会にて「どこか実のある話」を講演、誓子・青畝・秋桜子・素十を四Sと名付く。

昭和四年(1929)

一月

「かつらぎ」創刊。

二月

草田男東大俳句会に参加。

五月

虚子、満州旅行。

七月

「漫談会」で茂吉と虚子の論争。

十一月

第三回関西俳句大会(大阪中央公会堂)。

十二月

第二回ホトトギス同人、課題句選者発表。

昭和五年(1930)

二月

「山会の記」として文章会の記録を載せはじめる。芝不器男没。

四月

秋桜子句集『葛飾』刊、連作の流行。

六月

「玉藻」「夏草」「旗」創刊。虚子「立子へ」を「玉藻」に連載。

八月

第一回武蔵野探勝会。

十一月

第四回関西俳句大会(名古屋)にて虚子「古壷新酒」を講演。

昭和六年(1931)

一月

「プロレタリア俳句」創刊。「俳句に志す人の為に」諸家掲載。

五月

虚子選『ホトトギス雑詠全集』(全十二巻.花鳥堂)刊行始まる。

四月

青畝句集『万両』刊。

六月

「句日記」連載、虚子。

十月

秋桜子「自然の真と文芸の真」を「馬酔木」に発表、ホトトギスを離脱。

昭和七年(1932)

一月

「要領を説く」青畝。「季節の文字で」誓子。

三月

草城ホトトギスを批判、『青芝』刊。「花衣」創刊。

五月

誓子句集『凍港』刊。碧梧桐「日本及日本人」の選者を退く。

昭和八年(1933)

一月

誓子「かつらぎ」で「花鳥風月を詠み人事現象を疎略にするのは誤り」と。三山、静塔、「京大俳句」創刊。井上白文地「京大俳句」創刊号に「無季俳句許容」掲載。

三月

『続ホトトギス雑詠全集・春の部』刊(ホトトギス雑詠全集刊行会、六月までに全四冊刊)。碧梧桐俳壇引退を声明。

四月

「詩人の視線で」誓子。

八月

虚子北海道旅行。「土地の季節のずれについて」講演。

十月

『俳諧歳事記.冬の部』刊(虚子担当.改造社)。

昭和九年(1934)

二月

虚子還暦、「還暦座談会」四月号に。

三月

改造社「俳句研究」創刊、四月号に草城「ミヤコ・ホテル」発表。

四月

新興俳句有季定型と無季定型に分裂。『高濱虚子全集』刊行開始(改造社・昭和十年三月までに全十二冊)。

九月

虚子「俳句の手ほどき」をJOAKで放送。

十一月

虚子編『新歳事記』刊(三省堂)。「桐の葉」創刊。

昭和十年(1935)

一月

「自然なくして何の俳句的価値ぞ」草田男(「俳句研究」)。「旗艦」創刊。

三月

『第三ホトトギス雑詠全集・春の部』刊(全四冊)。

五月

誓子「馬酔木」に参加。

十月

虚子『俳句読本』刊(日本評論社)。虚子中村吉右衛門のために「髪を結ふ一茶」を書き(「改造」)十一月、吉右衛門東京劇場で上演。


昭和元年(1926)
昭和十年(1935)